昨年から、メールのやり取りが数回あった。活動状況や出場試合の予定など、いつもの丁寧なメール。その一通に、今回の全日本オープンパラ卓球で、卓球人生の区切りをつけたいと書いてあった。年齢的なこともあるし、ここ最近は怪我もあり、自分がイメージする卓球ができていないストレスもあるようだった。そんな状況の中、現役引退を決断したのかなと思ったが、そうではなかった。スポンサーを得て活動するプロ選手として、常に高い目標を設定し結果を求める競技生活が、体力面、モチベーション的にも厳しい状況になってきたことを受けて、スポンサー契約を終了し、プロ選手としてのけじめ、区切りをつけたいという想いだった。岡選手らしい考え方かもしれない。そのプロフェッショナルな想いは尊重したい。スポンサーは、結果だけを求めているわけではない。岡選手が、挑戦する姿を応援している。TEAM DAITOもそうである。これからの、卓球人生第2章も応援していきたいと思う。今後は、地元岡山の若手選手の育成、パラリンピック出場選手を育ててみたいと話してくれた。これまでのパラリンピック出場経験や技術は、若手選手の力になることは間違いない。岡選手が切り開いてきた道を、若手選手が歩み、コーチとして、大きな舞台に戻るのも最高な第2章かもしれない。

IMG_8313IMG_8269全力なプレーを見せてくれた岡選手IMG_8247コーチエリアで地元選手にアドバイス

フォトギャラリー
https://team-daito.com/magazine/?gallery=6665

岡選手インタビュー>

これまでの競技生活について、どのような想いがありますか?
中学2年生から始めて、競技歴は早や46年になります。「先天性骨形成不全症」という骨が弱く骨折しやすい病気をもって生まれてきたにもかかわらず、大好きなスポーツの世界でまさか自分がプレーヤーとして関われると夢にも思っていなかったので幸せな競技人生だと感じています。

印象に残っている大会や思い出を教えてください。
嬉しい思い出は、1988年23歳の時「全日本オープンパラ卓球選手権」で初優勝し、車いす選手の日本チャンピオンになれた瞬間です。
悔しい思い出は、2000年シドニー大会で初めてパラリンピックに出場できましたが、3か月前に勝利していた台湾の選手に完敗し、ベスト16で終わったことです。

卓球をやっていてよかったことを教えてください。
私は「卓球を核」として生きてきたように思います。優柔不断で決断力のない性格ですが、人生に「核(軸)」があることで、何か迷ったとき答えを出すための大きな指針になります。

ここまで、卓球を続けてこられたモチベーショは何ですか?
子供のころから「大会の成績」より「自己の限界への挑戦」を目標にしていたからだと思います。ですので勝ち負けで一喜一憂せず、「両親からもらった運動能力をいかに100%発揮できるか」を目指しているので、まだまだ挑戦は続きそうです。

これまでの競技生活で感謝している人はいますか?
私は子供のころから周りの人たちに本当に恵まれて、身内、友人、恩師、職場、卓球関係の方たちに本当に助けてもらっています。また、地元岡山の競技環境では、年齢、性別、障がいの有無、競技レベルに関係なく沢山のチームで練習させていただいているので全員の方に心から感謝しています。

今後はどのようなことをやりたいですか?
今まで先輩たちに教わったことや経験を今後の人のために役立てればと思います。その新たな活動で再びTEAM DAITOの仲間に入れてもらえればと思っています。

TEAM DAITOのメンバーへメッセージをお願いします。
TEAM DAITO結成当時から約10年間本当にありがとうございました。まだパラ選手へのサポートが一般的でなかった日本で、アパートのポストに入っていた車いすアスリートも含まれた募集チラシを今でも鮮明に覚えています。そんなオリ・パラの隔ての無い感覚を持った、志を高く持ったTEAM DAITOの皆さんの活躍を心から応援しています!
IMG_8253

 

 

岡選手は、TEAM DAITOを卒業します。10年間お疲れ様でした。ありがとうございました。
これからの岡選手も応援していきます。

 

取材
第44回全日本オープンパラ卓球選手権大会
2024年3月16日/神戸中央体育館

 

大東建託「未来のアスリート支援プロジェクト」は、
夢を見る次の世代へ。つなぐ。この先も。
をコンセプトに、アスリートを応援します!